昭和52年6月13日 十三日会
入力者大坪寿子
お道の信心を分からせていただけば頂くほど、「なるほど素晴らしい御教えだな~なるほど世界の名教だな~」と、おー思わずにはおられないほどに、素晴らしい内容をもったおるのが金光教だと思います。ですからもうおそらくは、いや~もう絶対、ん~金光教は天地とともに極まりなく続いていくことだろう。えんえんとして続いていくことだろう。けれどもそのー、続いていくというだけではいけない。それがえんえんと、しかもそれが繁栄、繁盛しながら続いていく、限りなく繁盛していくというものでなからなければならない。それには、どうでも、今までの、いうなら過去の金光教では、そりゃ、延々と続いていく内容、そういう内容をもっているというだけで、広がっていくということはおぼつかない。でもここにいよいよ全教一新して、いうなら合楽理念に基づいた生き方が、教団全体の上に取り上げられるようなおかげになってこなければ、広がりに広がるって行くということになってこない。過去の金光教、まーいうならば、御祈念力で助かったとか、ね、または、先生が、もうそれこそ人の真似のできんようなご修行をなさって、で、人が助かったとか、いう、もうこれが金光教の独壇場だと、お取次ぎを頂いて助かっていくという、生き方というものがです、ね、とそういうようなことだけでは、まー金光教は、んー、必ず、広がりに広がっていったんなかじゃない。ここでひとつ全教一新して、いうならひとつの革新的な信心、それを、あたくしは、合楽の、いうなら合楽理念にそれを感じます。ね、その為には、あー、いわゆる金光教のとく(???いしゃいてき)ものは、具体的に「なるほどこれがここの宗教の追従を許さないものだ」というような、その合楽理念にはいくらも出てきます。そういう素晴らしいものをもっておきながら、なら金光教ではそれを頂いていない。たとえば例を一つとりましても、あー、この、修業観というものがです、何様でも何教でも、やっぱおんなじような、事だというようなものであります。けれども合楽でいっておるように、表行全廃、そして心行一筋という生き方はもう、絶対、金光教だけのものです。なら、現在、金光教だけのものだといっておりますけれども、今のところ、絶対、合楽だけのものです。だからそれが金光教全体に広がらない限りですね、これはもう、合楽理念に出てくるどの一言でもみんながそうなんです。だからまずはそれがお互いの信心の生活のうえに、現されてくるということにならなければならない。
今朝から、んー、そりゃもう、あのー、たびたびの13日会の、おー、日には、必ず、朝の御祈念が終わるとすぐに、あのー、お参りしてみえるのが、(??いなかず)のなかがきかつえさんです。敬親会の方です。だからもう、あのー「13日会に、一番はよくるとは、あんたが一番はよくるの」っち言うくらいに、朝はよからみえるわけです。そして一生懸命やはりごようなさる訳ですね。「せんせいここへ今日参ってきてから、先生、折り入って今日は、あのー、お尋ねしたいことがある」というんです。「どうぞ」と。「実は10年前に、ここに初めてわたくしがお引き寄せを頂いた時に、親先生から、『あなたはあのー、しじみ貝のような方ですよ』と言うて、」あの、私は忘れ、しらじゃったけど、そのそういう、その10年前にいわれたという。それを、「その後にしじみ貝、しじみ貝ということをずっとに自分で思うてみて、最近、まこげんじゃなかろうかと思うてみて、分からせていただいたことは、あれは大変どろを含んでおります。だからあれはいっぺん泥を吐き出してしまわなければ、あのー、味の出ない、あれは貝です。その泥を吐き出せということじゃろうと私は思いますが」というて、いうことでしたが、ほんにそげんいいなさって、あたくしも思い出した。たしかにあのー、(???いながす)の方達が5.6人で参って見えた時に、あの人達に、「あなたがたは一人一人がしじみ貝のようなもんだ。なんとはなしに味わいをもっておられる」だからそれが5合なら5合、一升なら一升と、こう、おー、まとめられて、あれが味噌のおつゆにでもされると、大変味わいの良いものなんだと、だからあたしは、そういう味をだしていくような、というご理解を頂いたように、やっぱ思うんです。ね。けれどもんなら今日、なかがきさんがそのもう一つ向こうのことを悟っておられるようにね、こりゃそういう味の出るような内容、まず、泥を吐き出さなければいけないねということであった。まーそれからご理解いただくとが楽しみで、んー、(??いながす)からこう歩いて、あーそう、度々、しげしげと、朝の御祈念にもしばらくお参りさせていただいた。そしてそういうある日に、親先生が、「なかがきさん、合楽はちーこなっとろうがの」っちいわしゃった。「そん時は「いっちょんちーこはなか。こげんとうかとこ」っちおもうちから参ってきよったけれども、最近13日会に出てみると、それこそ九州中はおろか、もういうならば、遠方から、ね、13日会、13日会というてお参りをして見えるが、そういう方達に比べると、やっぱり自分たちのとこは一番近いとこだと思いました」というお届けが今朝からありました。「ほんなこつのー、今朝からのご理解といい、今なかがきかつよさんが言われる、それこそ一人一人が、合楽に縁を頂いておるというほどしの人は、やはりあたくしにつながりを持っておるもの、だから、よい味わいを持っておられると、あたくしはこう確信するです。けれどもどんなに良い味わいを持っておっても、その吐き出すもんば、吐き出さなければ使われないということなんです。で今日、下がらせていただいたら、初めてでしたけれども、しじみ貝のおつゆがでけておりました。「はーこれは13日会の時に、お話せんならんとばいなー」と思うてね、あのー、ただいま御祈念に出させていただきましたら、もうそれこそ、延々として、たくさんの人がどれだけあるか限りが分からない、もうむこーうの方から続いておるところを頂きました。そいでま-今日のご理解を頂いておるわけですけれども、それが延々と続く内容を持っておる金光教だという。けどそれを掘り出す得ずしてです、なら何の宗教しようがもう、おんなじことのような生き方が、ならこれが一生懸命拝んだからおかげを頂いてとか、先生が、とくに霊徳に優れておられたから、人が助かったとかと、まー、過去の金光教においては、まずそういものでありました。ね、ですから過去の金光教は、一つのその時代その時代、いうならば、明治大正を通してです、その時代にお役に立ってきた信心です。けれどももうこれからはもうお役にたたんのです。いやむしろあったら邪魔んになるです。あれが金光教かということになるのです。ですからどうでも、その合楽で言われておる合楽理念を芯にしての、信心が教団全体上げて、でけられるようなおかげを頂かせてもらわな、そういう最近働きを非常に感じます。教団的にも、またこの周辺にもそんなものを感じます
えー、先日から、北九州で、あのー、竹内先生の講演会がございました。えー、2000名からの徴収だったということです。そしてもう、それこそまー北九州に、ひとつのまー、あー、センセーションを巻き起こしたような、先日から先生が見えてから、「先生あのー、あん時の、なん、なんとかさんっちいう先生がいう、あのー、大将じゃったが、その大将から電話がかかってきた。」大将っちゅうか、なんっちいよったかねー?その今度北九州で、そのー、講演会があったが、各教会を回っていただくことはでけんだろうかという、で、各教会を回ってなにを話すかっち、結局合楽理念を話さなければ仕方がないわけなんです。ね。ならあん時でも、合楽のことはあんまりいわんが良かろうと思うて、実際は演題に上がったけれども、いよいよお話をしだしたら、はじめから最後まで、合楽の話に終わって、こりゃあたくしは、後からテープを聞かせていただいて、「もうこりゃあんた、合楽の事ばっかりやないの」というて、きいた事でした。今度の、んー、10日の御本部参拝に若先生がまいります。もうあのー、大阪あたりでは、大変な合楽でもちきってる。もう合楽の信心と言うのが、とにかくあのー、癌がどんどん助かるんだと言うようなことで評判なんだそうです。それからこの頃から、中近畿から合楽の信心というか、あたくしの一日を映画に、あのー、8ミリに収めて、それからここの話がして、どうでもあちらの講演会があるのに、えーその、講師として合楽の先生を迎えようというような話し合いがあっておると言うので、この頃から電話がかかって参りました。勿論あのー、断らせていただきました。けれどもそういう働きがあって、こんだ本部でも、そういう話を色々聞いてきております。まー、良いにつけ悪いに付け、合楽が出てくるわけですけれども、その悪い方というのは、もう根もないはもない、いうなら神様のご都合のような、いうなら悪口であります。ですからホントのことが分かったらですね有難い。こんどの17日の日に、博多地区の青年教師の話、あのー、研修会があります。それにえー、箱崎教会の若先生がお話しをするちおうことなんです。それでここに通知が、今ここで修業しております。佐田先生はそうなんです。ですからそのー、何を話してくれと言うのかと言うたら、「合楽の信心を語ってくれ」と言うのだそうです。んー。ですからね、そういうね、もう中に入って広めると、私は頂いておるけれども、そういう働きが非常に起こってきておる。そのためにはね、合楽全体がいよいよ、まー打って一丸となっただけじゃいかんのです。ね。こうこうやって、なら、灰汁のあるとは(ひらかなきゃ)後からかいってわるかもん。だからね、用はそのしじみがね、ひとつどろを吐き出してしもうて、現在の合楽の人たちが、全部ひとまとめにして、一つの味わいをいっぺんにそこにあらわさナならない時期が、だんだんでてけております。これはまーだ、全教的に、あー、あたくしが大体発表を控えておりますから。今度の布教部にいわなきゃならんから、こんど、末永先生が手紙を持っていって、向こうの布教部長、課長にみせようかと申します、「いやーまだそげなことはすんな」っち。だからもう向こうから、「どげなことじゃやろか」と言う時には、こんなおかげを頂きよりますというようなことになりゃないかんのだけれども、「それこそお前、色んなもん、願い事、書類を送ってくれと言うて言うても、返事もださんごたるところに言うたっちゃなんになるか」っち。「だから向こうが、ちーっと関心持ち出してからにせろ」と言うて私がいうて、押さえとったわけですけれどもね、そういうなら、例えば秋永先生の南米布教ということだけでも、もしこれが全教に発表されるとすんなら、大変なまたセンセーションが巻き起こるだけの内容をもっておるです。ね。ただみなさんが、あのー、(???たびたびが)最近聞かれるとおりのことですから。為には合楽自体がです、ひとつ灰汁を抜いた、ほんとに改まりに改まった、そしてそれがひとつにまとまって、いうならしじみ汁といったような味わいのものにならせて頂いて、いわゆる金光教、それこそもう、それこそ、100年1000年の計とでも申しましょうか、これなら絶対永遠と続くだけではなくて、永遠と広がりに広がって続いていくという、あたくしは、その決定的なですね、内容を持っておるのが現在の合楽の、合楽理念だという風に信じております。もうこれならば、もう必ず広がりに広がっていく内容、そしてひとっつもおかしいと言うことがないということです。ね。どういうように時代が変わっていってもです、ね、例えば、あのー、貧争病の中にも、ない世界に住みたいとか、いよいよ真善美輝くような、あ、おかげの世界があるとするならば、それを願わないものは一人もありますまい。いうならここでの言う、5つの願いです。ね。体の丈夫、ね。家庭円満のおかげ。家繁盛子孫繁盛のおかげ。とてもこれはもう永久不変のものです。人間がこの世にある限り、必ず願いとする、その願いの元が、合楽理念にといてあるんです。為にはあたくしどもが、いよいよ本気でお役に立ちたいちう一念を燃やし、いよいよ御神願御成就の為のお役に立ちたいという、いうなら、この13日会の精神が、いよいよ振るにです、ね、教団全体の上にも広がっていくようなおかげ、合楽の13日会ではない。教団の13日会といわれるようなね、あのー、おかげを頂かなければならないと言うふうに思います。13日会というのはそういう内容を持っておると思うのです。どうぞ。